ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリー
第一話 順番が回ってきた男
第二話 見知らぬ隣人たち
第三話 震災の夜、鍵を持つのは
まえがき
ここに収められた三つの物語は、あるローカルコミュニティラジオの取材からヒントを得て、仮想の街_「かわまち市」を舞台に三つの異なる視点から創作したフィクションストーリーだ。
地域コミュニティというものは、住民にとっては何か面倒なものだと思われてはいるが、やはりなぜか気になる。
これは、面倒だと思いながらも地域に関心を持ち続け、それぞれ何かを掴み取った、そんな人々の小さな物語_。
読んでくださった方の心に何か残るものがあれば、それ以上のことはない。
著者記す
第一話 順番が回ってきた男

一 四月の雨
四月の雨が、ベランダのコンクリートの床を叩いていた。
石川誠は、リビングのソファに深くもたれながら、缶ビールを開けた。プシュ、という音が、静まりかえった部屋に響いた。
妻の早苗は、寝室でもう眠っていた。妊娠六ヶ月になったばかりで、夕食を終えると早くに床に入るようになっていた。
誠は、テーブルの上に置かれた封筒に目をやった。
「自治会班長就任のお願い」
表書きには、そう書いてある。去年の秋に越してきたかわまちみなみニュータウン、その第四班。百三十世帯が暮らす新興住宅地。封筒を差し出した顔を、誠はまだ覚えていた。七十代くらいの老人で、「若い方にお願いしたくて」と繰り返していた。
誠は、三十二歳だった。
(断ることもできる)
そう思った。仕事は忙しかった。マンション販売会社の営業職で、週末は内覧対応や契約が入ることも多い。正直なところ、自治会など頭になかった。越してきたばかりの頃、「加入しませんか」と声をかけられ、「ああ、まあ」と曖昧に返事をした記憶はあった。加入費は千円だった。
早苗が「入っといたほうがいいかもよ、子供ができたら近所と仲良くしとかないと」と言ったのが理由のすべてだった。
缶ビールを一口飲んだ。
窓の外で、雨音は続いていた。
二 最初の班長会議
最初の班長会議は、公民館の狭い和室で行われた。
誠が少し遅れて引き戸を開けると、十人ほどの大人が所狭しと座っていた。全員が五十代以上に見えた。誠が「失礼します、第四班の石川です」と言うと、「おお、若い方が来てくれた」という声が上がり、ざわざわとした空気になった。
会議の内容は、回覧板のルール、ゴミ収集日の周知、お祭りの準備分担、そういったものだった。誠は手元のメモ帳に、わけもわからずただ書き留めた。会議は一時間続いた。
終わりに、自治会長の倉田さんという人が言った。
「来年は、もしよければ会長もお願いしたいんですが」
全員が誠を見た。
誠は「はあ」と言った。
三 班長の仕事
班長の仕事というのは、思ったより地味だった。
月に一度、回覧板をまとめて隣に届ける。ゴミ捨て場の管理をする。市の広報を各戸に配る。それくらいのことだった。特別難しくはなかった。ただ、土曜の朝など、ゴミ置き場のすぐ脇に不法投棄された大型ゴミを発見したとき、誠は一人で市の窓口に電話をかけ、処理方法を確認しなければならなかった。
誰もやらないから、自分がやる。
そういうことだった。
夏が来て、早苗のお腹が大きくなった。誠は仕事の合間に区役所へ行き、母子手帳の受け取りに付き添った。帰り道、公園のそばを通ると、砂場で遊ぶ子供たちが見えた。
(この子も、いつかここで遊ぶんだろうか)
そう思った瞬間、胸の中の何かが、ほんの少しだけ、やわらかくなった気がした。
四 秋の役員改選
秋の役員改選の夜、誠に電話がかかってきた。
倉田会長からだった。
「石川さん、来年の自治会長なんですが、出席率を調べましたところ、ここ一年で一番よかったのが石川さんでして」
誠の口から「えっ」という声が出た。
「私じゃないとダメですか」
「みなさん、なかなか引き受けてくださらなくて。若い方がやってくださると、これから越してくる方にも示しがつくんですが」
電話を切ったあと、誠は早苗に話した。
早苗は少し考えてから、「やってみたら」と言った。
「でも子供が生まれたら忙しくなるぞ」
「わかってる。でも、どうせこの街に住むんでしょう。だったら、ちょっとくらい関わってみてもいいんじゃない」
誠は窓の外を見た。街灯に照らされた、静かな住宅街。まだ顔も名前も知らない人たちが、それぞれの灯りの下で暮らしている。
五 二月
二月に、長女が生まれた。
体重は三千二百グラム。名前は、陽向にした。
誠が会長に就任したのは、その翌月だった。
最初の総会で、誠はスーツを着て壇上に立った。七十人ほどの住民の前で、「よろしくお願いします」と頭を下げた。後列のほうで、抱っこひもを胸に装着した若い女性が、赤ちゃんをあやしながら拍手をしていた。
帰り道、誠は倉田さんと並んで歩いた。
「プレッシャーですね」と誠は言った。
「そうですよ」と倉田さんは言った。「やりたくてやってる人なんて、そんなにいませんから」
「倉田さんも?」
「私だって最初は嫌でしたよ。でも気づいたら十二年経ってました」
誠は笑った。倉田さんも笑った。夜の住宅街に、二人の笑い声が短く響いた。
六 初夏のある夜
初夏のある夜のことだった。
帰宅途中、誠は第二班の路地を歩いていた。近くで打ち合わせがあって、遠回りになっていた。と、ゴミ置き場の脇に、人が倒れているのが見えた。
高齢の男性だった。七十代か、八十代か、見当がつかなかった。薄い作務衣を着て、側溝の縁に顎を乗せるようにして横になっていた。
誠は走り寄って「大丈夫ですか」と声をかけた。その人は目を開けたが、うまく話せないようだった。唇が乾いていた。
誠はすぐに救急車を呼んだ。
電話をつないだまま、その手を握った。手は冷たかった。誠は「もうすぐ来ますから」と言い続けた。その人は何も言わなかったが、目だけが誠を見ていた。
サイレンの音が近づいてきた。
救急隊員がその人を担架に乗せる間、誠は傍らに立っていた。隊員の一人が「ご家族の方ですか」と聞いた。
「いえ、近所のものです」
「お名前を教えていただけますか」
「石川といいます。かわまちみなみ自治会の会長です」
そう答えながら、誠は自分が「会長」という言葉を自然に口にしていたことに、少し驚いた。
七 高齢男性
後から聞いたところによると、その高齢男性は八十一歳で一人暮らしをしていた。脳梗塞の初期症状だったという。早期発見で、大きな後遺症はなかった。
誠が見舞いに行くと、高齢男性は布団の中から「あんたが助けてくれたのか」と言った。
「たまたま通りかかっただけです」
「それでも」とその人は言った。「わしは顔も名前も知らん人間に、手を握ってもらった。あれはうれしかった」
誠は何も言えなかった。
病院からの帰り道、誠は早苗に電話した。陽向が泣いている声が聞こえた。
「今から帰る」
「うん。お腹空いてるでしょ、何か作るね」
「ありがとう」
なんでもない一言だったが、誠の胸の奥に、じんわりと何かがあたたかく落ちた。
八 秋の役員会
秋の役員会で、誠は提案した。
「市の防災訓練に、うちの自治会も参加してみませんか。最近、加入していない方が増えているけれど、災害の時には加入者も非加入者も関係ないはずなので。避難所での声かけを、地域全体でできるようにしたい」
しばらく沈黙があった。
それから、壁ぎわに座っていた田中さん、三十五歳で一歳半の子を育てながら副会長を引き受けている女性が言った。
「賛成です。うちの子が小さいうちに、助けてくれる大人が周りにいてほしいし、私も誰かの役に立ちたい」
その言葉で、場の空気が変わった。
誠は思い出した。自分がこの街に越してきた理由。「地域で孤立したくない」と思ったこと。顔馴染みになっておきたかったこと。それは、自分だけじゃなかったのだ。
九 陽向
陽向が歩き始めたのは、その年の冬だった。
公園に連れて行くと、知らない子に近づいて、転んで、泣いて、また立ち上がった。誠はベンチに座って、娘の背中を目で追った。
隣に、知らないお父さんが来て座った。
「何ヶ月ですか」
「一歳三ヶ月です」
「うちも一歳五ヶ月で。最近やっと歩き始めて」
二人はしばらく、何の気なしに子供たちを眺めた。
帰り道、誠は考えた。挨拶ができる。話ができる。顔を覚えている。それだけで、この街は少し違って見える。
会長でも班長でも、なんでもいい。ただ、この感覚のために、自分は続けているのかもしれなかった。
十 就任から三年
会長就任から三年が経った。
誠の携帯電話には、いつの間にか、住民たちの連絡先が七十件以上入っていた。一人暮らしの老人、子育て中の母親、転入してきたばかりの外国人家族。顔と名前が一致する人間が、少しずつ増えていた。
自治会への加入率は、変わらず三割程度だった。
誠はもうそれを嘆かなかった。入ってない人も、この街に住んでいる。緊急のときには、声をかける。それだけでいい。
ある年の夏祭り、去年は大雨で中止になったやつが、今年はなんとか晴れた。
屋台の焼きそばを担当しながら、誠は隣に立つ田中さんに言った。
「来年もやりますかね」
田中さんは笑って答えた。「やりますよ、もちろん。次は私たちに任せてください」
誠は鉄板を混ぜながら、ふと空を見上げた。夏の夜の、入道雲の残骸が、オレンジ色に染まっていた。
やりたくて始めたわけじゃなかった。
でも、気づいたら、ここにいた。
それで十分な気がした。
(了)
あとがき
ラジオ番組の取材を通じて、この街には様々な活動をしている人々がいて、伝えるべき出来事があることを知りました。
そして、それらの人々にはそれぞれの思いがあり、それぞれのストーリーがあることに気づきました。そして「これは事実を放送するだけでなく、物語として残したい」と思いました。
私たちのラジオ番組では事実を伝えなければなりません。でも、番組から離れて、その背景を見つめ、想いを馳せて創造したフィクションなら── 人々が胸の奥に秘めている「思い」も描けるかもしれない。
街の声をもっと遠くに届けるために、その「思い」を書き続けようと思っています。
いはらコウ
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よかったら、#コミュニティラジオ #フィクション #短編小説 #ラジオ取材 をつけてSNSで感想を聞かせてください。続けてゆく力になります。
こちらも、ご覧ください。
https://note.com/koh_ihara
※本書に収録された作品は、ローカルコミュニティラジオ番組の取材をヒントに創作したフィクションです。登場する人物・団体の名称等はすべて架空のものであり、実在する個人・団体とは一切関係ありません。


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