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ラジオストーリーズ2-3

ラジオストーリーズ
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ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリー

顔の見える場所へ -かわまち、ワンダホデイズー

第一話 次世代へ繋ぐもの
第二話 まつりの空に
第三話 絆を生む音

まえがき
ここに収めた三篇は、ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリーである。
物語は、それぞれ異なる年齢と立場の人間を主人公にしている。七十代の自治会長、二十二歳の大学生、四十八歳の研究者。彼らに共通しているのは、何だったのか。

読んでくださった方の心に何か残るものがあれば、それ以上のことはない。

著者記す

第三話 絆を生む音

一 誰も知らない、私

四月の朝、浅野涼子は書斎の窓から住宅街を眺めていた。

引っ越してきて三ヶ月になる。夫の転勤で仙台からかわまち市へ。段ボール箱はまだ二つ、開けていない。論文の締め切りは来月だが、パソコンの画面には書きかけの一文だけが残っている。「近年、災害時における女性の—— 。」。その先が、三週間、動いていない。

仙台では「防災の先生。」として呼ばれ続けていた。講演の依頼が来て、学生が研究室を訪ねてきて、地域の防災計画の策定に関わって。自分が何者であるかを、誰かがいつも教えてくれた。

ここでは誰も、自分を知らない。

郵便受けに行くと、チラシに混じって手書きの紙が入っていた。角が折れていて、インクが少しにじんでいる。

「女性のための防災学 講師を探しています。ご関心のある方はご連絡ください。かわまち市仲町自治会女性部 澤登康子。」

涼子はその紙を、ゴミ箱の方へ持っていきかけて、止まった。

防災の専門家が、防災の講師募集の紙を捨てようとしている。

おかしい、と思った。腹も立った。それから少し、悲しくなった。自分が何に腹を立てているのか、しばらく分からなかった。

二 専門知識という鎧

電話をかけると、二回で出た。

「はい、澤登です!」

声が大きかった。受話器から溢れるような声で、「先生、来てくださるんですか! 本当に助かります! うちの自治会、ずっと探してたんですよ!」と続いた。

涼子は「まだ何も決めていません。」と言おうとしたが、澤登はすでに「じゃあ今週の木曜日、午後二時はいかがですか。」と言っていた。

木曜日、涼子は準備を整えて自治会の集会室を訪れた。資料を印刷し、スライドの構成を考え、想定される質問への答えも用意した。二十年間、そうやってきた。

澤登康子は六十五歳で、元看護師だという。白髪交じりの髪を短く切り、エプロンを外した跡がブラウスに残っていた。握手の手が、大きかった。

「先生、今日はどんなお話を考えてますか。」

涼子はスライドの構成を説明し始めた。「まず災害時における女性特有のリスクについてデータをご覧いただいて、次に国内外の支援事例を——。」

「ほうほう。」と澤登は頷いていた。が、途中でさえぎった。

「先生、うちの自治会のおばさんたちに、一番刺さる話って何ですか。」

涼子は止まった。

「刺さる、というのは。」

「聞いてよかった、と思える話。明日から何か変えようと思える話。うちの会員、みんな忙しいんで、難しい話だと途中で頭が別のことを考え始めるんです。先生、能登の地震のとき、女性が一番困ったことって何か知ってますか。」

「避難所での——プライバシーの問題や、衛生面の——。」

「うちの会員に聞いたら、みんな生理用品って言うんです。備蓄リストに入ってないことが多くて、もらいに行くのが恥ずかしかったって。先生、それ、授業で使えますか。」

涼子は黙って、メモを取った。

用意してきたスライドの構成が、頭の中で静かに崩れていった。崩れながら、何か別のものの輪郭が、ぼんやりと現れてきた。

三 街を歩いて

五月から、涼子は澤登と一緒に街を歩き始めた。

セミナーの準備のために現場を見ておきたい、と言ったのは涼子だった。澤登は「ちょうどよかった、一緒に回りましょう。」と言って、翌朝八時に玄関前に立っていた。

澤登は歩きながら、すべてに名前をつけた。

「あの角の家、去年奥さんが亡くなって、旦那さんが一人になった。息子さんが週末だけ来てる。」「このフェンス、傾いてるでしょう。地震が来たら倒れる。町内会で何度か話してるんだけど、なかなか。」「あの空き家、五年になる。所有者が行方不明で、市も手が出せないらしい。」

涼子は最初、それらを「定性的な情報。」として処理していた。データに変換できる観察として、頭の中に整理していた。

六月のある朝、澤登が一か所で立ち止まった。何もない、草が少し伸びた空き地だった。

「ここ、前は田んぼだったんですよ。」

「田んぼ、ですか。」

「涼子さんが生まれるより前から。かわまちはね、昔はこのあたり全部、水田だったんです。だから今でも、大雨が降ると水が集まりやすい。地盤も柔らかい。ハザードマップより、歩いた方が分かることがある。」

涼子は足元を見た。舗装されたアスファルト。でもその下に、水を含んだ土の記憶がある。

自分がこれまで「地域。」と呼んできたものは、データの集合体だった。人口密度、建物の築年数、避難所までの距離。でも澤登の「地域。」には、時間と記憶があった。誰かが生まれて、誰かが死んで、田んぼが宅地になって、それでも水は昔の流れを覚えている。

「澤登さんは、ずっとここに住んでるんですか。」

「生まれてからずっと。この街以外、知らないんです。」

涼子は少しの間、澤登の横顔を見た。知らない、という言葉が、誇りのように聞こえた。

七月、八月と準備を続けるうちに、涼子は少しずつ、この街を「住んでいる場所。」として感じ始めた。スーパーへの道順が体に入った。公園のベンチの場所が分かった。澤登から紹介された顔が増えた。名前が、少しずつ地図に貼り付いていった。

四 女性の防災学

十月の防災フェス当日、涼子のセミナーには三十一人の女性が集まった。

二十代の若いお母さんから、八十代の老女まで。折りたたみ椅子が並んだテントの中は、少し汗の匂いがした。外では子どもたちの歓声と、起震車のアナウンスが聞こえている。

涼子はスライドを開いた。一枚目、タイトル。二枚目、統計データ。三枚目—— 涼子はそこで、マウスを置いた。

「少し、やり方を変えてもいいですか。」

テントが静かになった。

「今日は、皆さんから聞かせてください。災害のとき、あなたが一番怖いと思うことは何ですか。」

最初の三十秒、誰も話さなかった。外の音だけが入ってきた。

澤登が手を挙げた。「私はね、夜中に一人で避難することが怖い。懐中電灯を持って、どこに行けばいいか、暗い中で判断しなきゃいけない。それが怖い。」

堰が切れた。

「トイレが怖い。避難所のトイレ、夜は暗くて一人で行けない。」

「子どもを抱えて逃げられるか、ずっと不安だった。」

「夫が出張中に地震が来たら、と考えると眠れない夜がある。」

「お金をどこに隠すか、夫に言ってない。もし私が倒れたら、夫はどうするんだろう。」

涼子はメモを取り続けた。

二十年間、「女性と災害。」を研究してきた。論文を書き、学会で発表し、行政の会議に呼ばれた。でも今日、この折りたたみ椅子の並んだテントの中で、初めて聞いた話があった。

セミナーの最後、涼子は言った。「皆さんが今日話してくださったことは、教科書には載っていません。でも、一番大切なことだと思います。今日聞いたことを、私も勉強させてください。」

拍手が起きた。長い拍手だった。

終わってから澤登が近づいてきて、涼子の腕をぐっと掴んだ。「最高でした。来年もやってください、涼子さん。」

「涼子さん、ですか。」涼子は少し笑った。「先生じゃなくなりましたね。」

「最初から先生なんて思ってませんよ。同じ女として、話してほしかっただけです。」

五 絆を生む音

十一月のある午後、涼子は一人で街を歩いた。

もう澤登の案内はいらなかった。どの角を曲がれば公園に出るか、どの路地が抜け道になるか、体が覚えていた。澤登が「覚えておいて。」と言っていた顔が、ひとつひとつ家の表札と結びついていた。

涼子は足を止めた。表札に「栗原。」とある。澤登が「一人暮らしのお年寄り、何かあったとき声をかけてあげて。」と言っていた家だ。

玄関の電灯がついていた。

涼子はそのまま通り過ぎかけた。見知らぬ家に、用もなく呼び鈴を押す習慣は、自分にはない。仙台でも、隣に誰が住んでいるか、三年間知らなかった。

でも足が止まった。

引き返して、呼び鈴を押した。

少し間があって、老女が出てきた。白いカーディガンに、紺のパンツ。背筋だけはしゃんとしている。

「はい、どちら様ですか。」

「近所に越してきた浅野と申します。ご挨拶が遅くなってしまいまして。」

老女は涼子の顔を見た。それから、穏やかに笑った。「まあ、そうですか。寒くなりましたね。」

引越しから七ヶ月。涼子は、初めて隣人に挨拶した。

その夜、帰宅した夫が「なんか今日、機嫌よくない?。」と言った。

涼子は「そうかな。」と言って、夕飯の続きを作った。機嫌がいいのか悪いのか、自分でもよく分からなかった。ただ、胸のどこかが、少し軽かった。

終 居場所の作り方

翌春、涼子は論文を書き上げた。

タイトルは変わっていた。当初予定していた「災害時における女性の脆弱性と支援体制の国際比較。」ではなく、「地域防災活動における女性の主体性形成——かわまち市仲町地区の事例を中心に。」。

査読に出す前に、澤登に原稿を見せた。澤登は「むずかしくて全部は分からないけど、あのセミナーのこと、ちゃんと書いてくれてる。」と言って、最後のページを二度読んだ。

四月のある夜、夫が帰ってきて、コートを脱ぎながら言った。

「仙台に戻れる話が出てきた。来年度から、希望すれば異動できる。」

涼子は少しの間、黙った。夫は続けた。「涼子が仙台に戻りたいなら、そうする。ここに残りたいなら、俺が単身赴任する。どちらでもいい。」

翌朝、澤登から電話があった。

「涼子さん、来年の防災フェス、もう動き出してるんですけど、どうしますか。」

涼子は迷わなかった。「やります。」

「よかった。じゃあ来週、一緒に街歩きしましょう。新しい空き家が増えてるんで、確認しておきたくて。」

電話を切って、涼子は夫に言った。「もう少し、ここにいたい。」

理由を聞かれたら、うまく説明できないかもしれない、と思っていた。でも夫は「そうか。」とだけ言って、コーヒーを淹れ始めた。

居場所というのは、最初からあるものではない。

少しずつ踏み固めていくものかもしれない。

窓の外、四月の雨が降り始めた。

去年の今頃、この街のことを何も知らなかった。今は、雨が降ると水が集まりやすい場所を、一か所は、知っている。

来年は、もう少し増えるかもしれない。



最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

よかったら、#コミュニティラジオ #フィクション #短編小説 #ラジオ取材 をつけてSNSで感想を聞かせてください。続けてゆく力になります。

あとがき

ラジオ番組の取材を通じて、この街には様々な活動をしている人々がいて、伝えるべき出来事があることを知りました。
そして、それらの人々にはそれぞれの思いがあり、それぞれのストーリーがあることに気づきました。そして「これは事実を放送するだけでなく、物語として残したい」と思いました。
私たちのラジオ番組では事実を伝えなければなりません。でも、番組から離れて、その背景を見つめ、想いを馳せて創造したフィクションなら── 人々が胸の奥に秘めている「思い」も描けるかもしれない。
街の声をもっと遠くに届けるために、その「思い」を書き続けようと思っています。

いはらコウ

※本書に収録された作品は、ローカルコミュニティラジオ番組の取材をヒントに創作したフィクションです。登場する人物・団体の名称等はすべて架空のものであり、実在する個人・団体とは一切関係ありません。

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