ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリー
顔の見える場所へ― かわまち、ワンダホデイズ ―
第一話 次世代へ繋ぐもの
第二話 まつりの空に
第三話 絆を生む音
まえがき
ここに収めた三篇は、ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリーである。
物語は、それぞれ異なる年齢と立場の人間を主人公にしている。七十代の自治会長、二十二歳の大学生、四十八歳の研究者。彼らに共通しているのは、この街で「顔の見える関係」を、自分から作りに行くこと。
誰かの名前を知ること。誰かの声を聞くこと。特段の用はないが誰かに会いに行くこと。その積み重ねが、いつか誰かを助ける。
読んでくださった方の心に何か残るものがあれば、それ以上のことはない。
著者記す
第二話 まつりの空に

一 とりあえずやってみる
九月の終わり、村瀬朱音はゼミ室の端の席で、ノートパソコンの画面を見つめていた。
「学生時代に力を入れたこと。」
就活サイトのエントリーシートのフォームが、三週間前から埋まらない。サークルには入っていない。アルバイトはカフェで二年続けているが、「コーヒーをきれいに注げるようになりました。」では弱い気がする。旅行は好きだが、それも「力を入れた。」とは言えない。
画面の前で固まっていると、ゼミの大野教授が近づいてきた。
「村瀬さん、ちょうどよかった。かわまち市の防災訓練キャンプ、運営の手伝いをしてくれる学生を探してるんだけど。」
「防災訓練キャンプ、ですか。」
「今年から〈防災フェス〉って名前になったらしいけどね。自治会連合が主催していて、うちのゼミに毎年声がかかってる。単位にもなるし、どうかな。」
朱音は少し考えた。正確には、考えるふりをした。「とりあえず。」という言葉が喉元まで来ていた。
「とりあえず、やってみます。」
十月の第一土曜日、朱音はかわまち市の市庁舎の会議室を訪れた。防災フェスの準備会合だった。
部屋には自治会長とおぼしき六十代、七十代の男女が八人ほどいた。全員が手書きのメモを持っていた。
外山という会長が、開口一番に言った。
「楽しくやらないと誰も来ない。まず、それだけ覚えてくれれば十分です。」
朱音はノートにそれを書き留めた。「楽しく。」という言葉が、この場所には妙に似合っていた。
帰り道、朱音はスマートフォンを取り出して、会議室の写真を一枚撮った。SNSに投稿しようとして、説明文を書きかけて、やめた。何と書けばいいか、分からなかった。
二 名前を知らないひと
防災フェス当日、十月の末の朝は冷えた。
かわまちみなみ駅の西口公園には、朝七時から車両が集まり始めた。白バイ、消防団の自動車、パッカー車、給水車。朱音はそれらを横目に、受付テントの設営を手伝った。地面はまだ露で湿っていた。
朱音の担当は、午前中の高齢者誘導だった。杖をついた人や、足元がおぼつかない人に声をかけて、会場内を案内する。
十時を過ぎたころ、一人の老女が入口のそばで立ち止まっていた。
白いカーディガンに、紺のパンツ。小柄で、背筋だけはしゃんとしている。でも目が、少し迷子のようだった。
「あの、何かお探しですか。」
老女は朱音の顔を見て、穏やかに聞いた。
「今日は何のお祭りですか。」
朱音はマニュアル通りに答えた。「防災フェスです。防災の体験ができたり、食事もありますよ。」
「まあ、そうですか。よく来ましたね。」
老女は自分が招待されたわけでもないのに、朱音を労うように言った。それから「ありがとう。」と言って、ゆっくり歩き出した。
名前を聞くと「栗原文江。」と答えてくれた。
昼頃、アルファ米の配布をしていると、栗原文江がまた朱音のそばに来た。
「あなた、朝からいるね。えらいね。」
朱音は少し驚いた。名前も覚えていないのに、「朝からいた。」という事実だけは覚えていた。
「ありがとうございます。栗原さんも、ずっといらっしゃいますよね。」
「そうでしたっけ。」と文江は笑った。「気がついたら、ここにいたの。」
午後、起震車に乗った子どもたちが笑い声を上げていた。中学生のブラスバンドが、少し音を外しながら演奏していた。文江はパイプ椅子に座って、その音楽をずっと聴いていた。
朱音はしばらく、文江の横顔を見ていた。
その夜、アパートに帰ってから、朱音はエントリーシートを開いた。「学生時代に力を入れたこと。」の欄は、まだ白紙だった。でも今日のことは、書けそうな気がしなかった。何かが、言葉になっていなかった。
忘れていく、ということは、どういうことだろう。忘れられていく、ということは。
朱音は画面を閉じた。
三 絆の音
十一月、木枯らしが吹き始めたころ、朱音はゼミのアンケート調査のためにかわまち市を訪れた。
防災フェスの参加者に、事後のアンケートを届けて回る仕事だった。名簿を見ていると、栗原文江の住所があった。
住宅街の奥の一軒家。表札は古くて、文字が少しかすれていた。玄関前に、小石が敷いてあった。朱音が歩み寄ると、じゃり、と音がした。
呼び鈴を押すと、少し間があって、文江が出てきた。
「はい、どちら様ですか。」
防災フェスで会ったことは、覚えていなかった。朱音は名乗り、アンケートの説明をした。文江は「まあ、上がりなさい。」と言った。
台所の小さなテーブルで、緑茶が出た。湯呑みの柄は桜だった。
アンケートの質問を読み上げると、文江はひとつひとつ、丁寧に答えた。「防災フェスはよかったですよ。音楽がかわいかった。」。昨日のことのように言う。でも「去年も参加しましたか。」という問いには、「さあ、どうでしたかね。」と首をかしげた。
アンケートが終わってから、朱音はつい聞いた。
「ご家族は、近くにいらっしゃるんですか。」
「息子が、川越に。月に一度来てくれます。」
「近所の方とは、よく行き来されますか。」
文江は少し考えた。「昔はありましたけど、最近は分からない。みなさん、忙しいでしょうから。」
四 就活という名の鏡
十二月。就活の本格的な準備が始まった。
朱音は合同説明会に行き、OB訪問をし、自己分析のワークシートを埋めた。「あなたの強みは何ですか。」「どんな社会課題に関心がありますか。」「十年後、どんな仕事をしていたいですか。」
書けた。それなりに書けた。でも画面の前で読み返すたびに、何かが空回りしている感じがした。
「社会貢献がしたいです。」。そう書いた。でも顔が浮かばない。不特定多数の、顔のない「社会。」に対して、不特定多数の「貢献。」をしたい、と言っている。
文江の顔が、浮かんだ。
白いカーディガン。迷子みたいな目。「あなた、朝からいるね。」という声。
朱音は椅子から立ち上がって、コートを着た。
文江の家の前に立つと、砂利がじゃりじゃりと鳴った。
呼び鈴を押すと、少し間があって、文江が出てきた。
「はい、どちら様ですか。」
やはり覚えていない。今度は朱音の方から言った。
「村瀬朱音です。先月もお邪魔しました。また来てしまいました。」
文江は少しの間、朱音の顔を見ていた。それから、笑った。
「そう。寒かったでしょう。上がりなさい。」
覚えていなくても、笑ってくれた。
その日、朱音は二時間ほど文江の話を聞いた。夫のこと、息子が小さかった頃のこと、昔この辺りには田んぼが広がっていたこと。文江は同じ話を二度した。朱音は二度とも、初めて聞くように頷いた。
帰り際、文江が言った。
「また来てね。名前、なんでしたっけ。」
「村瀬朱音です。」
「朱音ちゃん。きれいな名前ね。」
帰り道、朱音は住宅街を歩いた。冬の夕暮れが、電柱の影を長く伸ばしていた。
三月。ゼミの年度末発表会が行われた。
朱音の発表テーマは「地域防災活動における住民参加の構造」だった。スライドには参加者数の推移、アンケートの集計結果、自治会連合の組織図が並んでいた。
発表が終わって、大野教授が言った。「就活の軸、見つかったか。」
朱音は少し考えた。
「まだ言葉になってないですけど、顔は見えてきました。」
教授は「それで十分だ。」と言った。
終 翌年の秋
翌年の秋、防災フェスがまた開かれた。
朱音は今年も会場にいた。今度は単位のためではなく、自分で申し込んで。
就職活動は、結局、地域の福祉関係の支援団体に決まった。大きな会社ではない。給料も飛び抜けてよくはない。でも「顔が見える仕事がしたい。」という一文を、朱音は最終面接で迷わず言えた。
午前中の高齢者誘導を担当しながら、朱音は入口のあたりを目で探した。
いた。
白いカーディガン。紺のパンツ。背筋だけはしゃんとした、小柄な老女。
文江が入口のそばで立ち止まり、いつものように辺りを見回していた。
朱音が近づく前に、隣の自治会長が文江に声をかけた。
「栗原さん、今年も来てくれましたね。毎年来てくださってるんですよ。」
文江は「そうでしたっけ。」と笑った。
朱音はそのやり取りを、少し離れた場所から見ていた。
文江は今日のことを、明日には忘れるかもしれない。去年のことも、一昨年のことも、すでに霧の中だ。でも文江の足は、毎年この場所へ来る。体が、覚えている。
「栗原さん。」
朱音は歩み寄った。
文江が振り返る。迷子みたいな目が、朱音を見た。
「村瀬朱音です。また来ました。」
文江は少しの間、朱音の顔を見ていた。それから、笑った。去年と同じ笑顔で。
「まあ、来てくれたの。ありがとうね。」
覚えていなくても、笑ってくれた。
朱音は、それで十分だと思った。
会場の方から、中学生の演奏が聞こえてきた。今年も少し音を外していた。でも一所懸命だった。次世代に奏でられた音が、十月の空に広がっていった。
了
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よかったら、#コミュニティラジオ #フィクション #短編小説 #ラジオ取材 をつけてSNSで感想を聞かせてください。続けてゆく力になります。
あとがき
ラジオ番組の取材を通じて、この街には様々な活動をしている人々がいて、伝えるべき出来事があることを知りました。
そして、それらの人々にはそれぞれの思いがあり、それぞれのストーリーがあることに気づきました。そして「これは事実を放送するだけでなく、物語として残したい」と思いました。
私たちのラジオ番組では事実を伝えなければなりません。でも、番組から離れて、その背景を見つめ、想いを馳せて創造したフィクションなら── 人々が胸の奥に秘めている「思い」も描けるかもしれない。
街の声をもっと遠くに届けるために、その「思い」を書き続けようと思っています。
いはらコウ
※本書に収録された作品は、ローカルコミュニティラジオ番組の取材をヒントに創作したフィクションです。登場する人物・団体の名称等はすべて架空のものであり、実在する個人・団体とは一切関係ありません。

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