これから_ この街で
かわまちみなみ 三つの物語
ローカルコミュニティラジオ発・ショートフィクションストーリー
ーかわまち、ワンダホデイズー
目 次
まえがき
第一話 田んぼが街になる日まで
── 宮田さくら、二十八歳、回想 ──
第二話 開かれた庭へようこそ
── 桐島悠、二十八歳、根無し草につき ──
第三話 始発の街
── かわまちみなみ駅 6時02分発──
まえがき
田んぼだった土地が、区画整理され、道路が通り、上下水道が埋まり、住宅が建ち、工場が稼働し、公園の芝生が根を張っていく。街を開発するその過程は、何年もの時間をかけて進行してゆく。将来像は示されている。でも今は未だ、途中の街。
この本に収められた三つの物語は、あるローカルコミュニティラジオ番組の取材からヒントを得て、仮想の街_「かわまち市」を舞台に創作したフィクションストーリーだ。
登場人物たちは、それぞれに何かを抱えている。喪失感、自信のなさ、言えないこと、走りすぎていること。でも誰一人、完全に折れてはいない。折れずにいられるのは、たぶん、街が未だ途中だからだ。完成していない街には余白がある。余白があるから、人も未だ途中でいられる。
第一話「田んぼが街になる日まで」。 この土地を手放した祖父の沈黙と、それを三世代かけて解き明かす物語だ。語り手は孫娘のさくら。彼女がたどり着くのは「失った」のではなく「預けた」という言葉の意味だ。
第二話「開かれた庭へようこそ」。 製パン職人の青年・悠が、この街で初めて「居場所」を見つけるまでの物語だ。彼が作ったパンを誰かが食べる、その顔が見える場所に立つことで、彼の仕事は変わっていく。
第三話「始発の街」。 同じホームで同じ始発を待つ三人の群像劇だ。転勤族の父、育児と仕事の間を走る母、人生の余白を旅する老人。三人は互いの名前を知らないまま、同じ光の中を走り抜ける。
三つの物語に共通するのは、この街の「末だ途中」という質感だ。
途中であることは、未完成ということじゃない。
未だ、これから_ 書き込めるということだ。
著者 記
第一話
田んぼが街になる日まで
宮田さくら、二十八歳、回想

公園のベンチは、未だ新品の匂いがする。
木の板が陽に温められて、ほんのり甘い匂い。塗料の匂いとも違う、削りたての木そのものの匂い。娘の莉子が芝生の上を走るたびに、靴底が土を蹴る音がして、それがここに来るたびに私を少し泣きそうにさせる。
この公園の下に、かつて田んぼがあった。
じいちゃんが毎朝ゴム長靴で踏み込んでいった、あの泥の匂いが、今でもどこかに残っている気がする。芝生の根の先の先の、もっと深いところに。
私の名前は宮田さくら。二十八歳。一年前、東京から、かわまちみなみに戻ってきた。
娘を産んで、夫と二人で「どこに住もうか」と話し合ったとき、私は迷わずここを選んだ。自分でも驚くほど、迷わなかった。
この街が、未だ途中だったから。
途中の街には、未だ余白がある。誰かの過去も、誰かの未来も、未だ書き込めるような白さが。
莉子が「ママ、見て」と叫んで、両手を広げて芝生の上に倒れ込む。笑い声が風に乗る。遠くで、クレーンがゆっくりと腕を伸ばしている。街は未だ、工事中だ。
* * *
第一部
泥の匂い
── 祖父・宮田正造の時代 ──
じいちゃんは、田んぼの話をしなかった。
正確に言えば、手放す前の話をしなかった。稲の育て方は教えてくれた。畦の直し方も、水の引き方も。でも「なんで田んぼをやめたの」と私が聞くたびに、じいちゃんはいつも「そういうもんだ」とだけ言って、縁側でお茶を啜った。
そういうもんだ、という言葉の重さを、子どもの私には量れなかった。
じいちゃんが田んぼに立っていたのは、昭和の終わりごろのことだ。私が生まれるずっと前。鉄道路線がもう通っていて、線路の向こうに新しい家がぽつぽつ建ち始めていた頃。
市の職員が来たのは、ある秋のことだったと、父から聞いた。
「区画整理事業にご協力を」
若い職員が頭を下げた。じいちゃんは黙って話を聞いて、最後に「わかった」と言ったらしい。それだけ。抵抗も、嘆きも、ない。ただ「わかった」。
父は言う。「あの夜、じいちゃんは一人で田んぼに出て行ったんだ。夕飯も食べないで。ばあちゃんが心配して見に行ったら、畦に立って空を見ていたって」
空を見ていた、という言葉が、私の中に刺さったまま抜けない。
怒りを空にぶつけていたのか。それとも、諦めていたのか。あるいは、もっと別の何かを_。
じいちゃんは翌朝、何事もなかったように朝飯を食べた。そして春になると、田んぼに入れなくなった。造成工事が始まっていたからだ。
その春から、じいちゃんは毎年、田植えの季節になると黙って外に出るようになった。行き先は言わなかった。でも私は一度だけ、こっそり後をつけたことがある。小学校三年生の春だった。
じいちゃんは、新しく整備された道路の端に立って、ただじっと、工事中の土地を見ていた。
見ているだけだった。
私が「じいちゃん」と声をかけると、振り返って少し照れたように笑った。「さくらか。散歩してたんだ」と言った。
嘘だ、と思った。でも追及しなかった。じいちゃんの笑い方が、なんだかとても悲しい人の笑い方に見えたから。
* * *
第二部
コンクリートの春
── 父・宮田健一の時代 ──
父は農業を継がなかった。
じいちゃんが「継がなくていい」と言ったのか、父が自分で決めたのか、私には分からない。たぶん、どちらでもなく、どちらでもだっただろう。田んぼがなくなっていく中で、継ぐという選択肢自体が、静かに消えていったのだと思う。
父が選んだのは、建設会社への就職だった。
土を触る仕事、という意味では同じだ。父はそう自分に言い聞かせていた、と後になって話してくれた。「農業も建設も、土地を作る仕事だろう。方向が違うだけで」
でも、じいちゃんはその言い訳を認めなかった。
二人はよく口論した。私が子どもの頃、食卓の空気が張り詰めることがあって、その理由がずっと分からなかった。じいちゃんが父に何かを言う。父が黙る。じいちゃんがまた言う。父が席を立つ。
何を言い合っていたのか、今なら少し分かる。
父が担当した工事のひとつに、かつて宮田家の田んぼがあった区画の造成が含まれていた。
父はそのことを、十年以上誰にも言わなかった。私に打ち明けたのは、莉子が生まれた夜、病院の廊下でだった。
「俺がやったんだよ」と父は言った。「じいちゃんの田んぼの土を、俺が盛り替えた」
重機のバケットで土を掬い上げながら、父はじいちゃんの顔を思い出したという。怒っているのか。悲しんでいるのか。それとも_。
「分からなかったんだ、最後まで」
父の目が赤かった。生まれたばかりの孫の顔を見た感動なのか、それとも別の何かなのか、私には判断できなかった。
じいちゃんが逝ったのは、かわまちみなみ駅が開業した年の春だった。
テレビで開業式典のニュースが流れる中、病院のベッドで眠るように息を引き取った。父は工事現場にいて、間に合わなかった。式典にも、臨終にも。
「どっちも行けなかった」と父はぼそりと言った。「どっちに行けばよかったのかも、今でも分からん」
それは後悔なのか、自嘲なのか。
父は笑わなかった。
* * *
第三部
公園のベンチ
── 孫娘・宮田さくらの時代 ──
莉子が転んだ。
芝生に足を取られて、ぺたんと両手をついて。少し間があってから、泣き声が上がる。私はベンチを立って駆け寄り、膝の土を払ってやる。「痛かったね」と言うと、莉子はしばらく泣いて、それからけろりと立ち上がってまた走り出す。
子どもの柔軟さは、いつも私を驚かせる。
ベンチに戻りながら、先週の父の電話を思い出した。酔っていた。珍しく。
「さくら、聞いてくれるか」
なに?、と答えた。
「じいちゃんがな、一度だけ言ったことがある。田んぼのこと」
私は黙って続きを待った。
「売ったんじゃないって。じいちゃんは、俺に言ったんだ。田んぼは売ったんじゃない。街に、預けたんだ、って」
電話口の向こうで、父が鼻をすすった。
預けた。
その言葉が、今もずっと、胸の中で鳴っている。
売ったのではなく、預けた。
じいちゃんは、農家として田んぼを手放したのではなく、この街の未来に、土地を託したのだ。誰かが住み、誰かが歩き、誰かの子どもが転んで泣いて、また走り出す、そういう場所になることに。
なんだ、と私は思う。なんだ、そういうことか。
あの夜、畦に立って空を見上げていたじいちゃんは、怒っていたのでも、諦めていたのでもなかった。
覚悟していたのだ。
田んぼが街になることへの覚悟。そしてその街を、後の誰かに手渡す覚悟。
莉子が「ママ、来て」と叫んでいる。公園の端の、低い丘のような場所に登りたいらしい。私は立ち上がって、娘の手を取る。
丘の上から、かわまちみなみ駅が見える。未だ真新しいホームが、午後の光の中で光っている。その向こうには、クレーンが一本、空に突き刺さっている。
街は、未だ途中だ。
でも途中であることは、未完成ということじゃない。じいちゃんが土を預けた。父がその土を盛り替えた。私が戻ってきた。莉子が転んで、また走り出した。
それで十分だ、と私は思う。
莉子が両手を広げて、風を受けている。
この子はきっと、ここが田んぼだったことを知らないまま大人になる。それでいい。この街の下に眠る泥の記憶は、知らなくていい。ただ、この芝生を、この風を、このベンチの温もりを、体で覚えてくれれば。
それがじいちゃんの、預けたものの正体だと思うから。
* * *
エピローグ
春になると、父がふらりとやってくる。
莉子と一緒に公園に行き、ベンチに座って、黙って空を見上げる。じいちゃんがそうしていたように。
親子というのは、似てくるものだ。
私もいつか、莉子に伝える日が来るのだろうか。この土地の話を。田んぼの話を。じいちゃんの「預けた」という言葉を。
伝えるかもしれないし、伝えないかもしれない。
ただ、この公園のベンチに一緒に座って、風が草を揺らすのを見ていれば、言葉はいらないかもしれない、とも思う。
未だ途中の、この街で。
(了)
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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こちらも、ご覧ください。
https://note.com/koh_ihara
※本書に収録された作品は、ローカルコミュニティラジオ番組の取材をヒントに創作したフィクションです。登場する人物・団体の名称等はすべて架空のものであり、実在する個人・団体とは一切関係ありません。

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