ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリー
顔の見える場所へ― かわまち、ワンダホデイズ ―
第一話 次世代へ繋ぐもの
第二話 まつりの空に
第三話 絆を生む音
まえがき
ここに収めた三篇は、ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリーである。
物語は、それぞれ異なる年齢と立場の人間を主人公にしている。七十代の自治会長、二十二歳の大学生、四十八歳の研究者。彼らに共通しているのは、この街で「顔の見える関係」を、自分から作りに行くこと。
誰かの名前を知ること。誰かの声を聞くこと。特段の用はないが誰かに会いに行くこと。その積み重ねが、いつか誰かを助ける。
読んでくださった方の心に何か残るものがあれば、それ以上のことはない。
著者記す
第一話 次世代へ繋ぐもの

一 顔のない隣人
十月の末にしては妙に生あたたかい風が、かわまち市の市庁舎の廊下を吹き抜けた。倉田誠一は会議室のドアを開けながら、内心で段取りを確認していた。議題三項目、所要時間は九十分、発言者の順番はあらかじめ決めてある。
六つの自治会の会長が、折りたたみ椅子に座って待っていた。倉田は上座に近い席を選び、配布資料をきっちり揃えてテーブルに置いた。元営業部長の習慣というのは、七十二歳になっても抜けないものだと、自分でも思う。
「では始めましょうか。」
倉田が口を開いた瞬間、部屋の隅から低い声が割り込んだ。
「その前に、ひとつ聞かせてくれ。」
澤本隆だった。六十八歳。仲町自治会の会長で、元大工の棟梁だという話は聞いていた。腕を組んだまま、顔を上げもしない。
「今回の防災訓練、どこの避難所に、誰が何人逃げ込んでくるか、想定してるか。」
「それは資料の二ページに——。」
「数字の話じゃない。顔の話だ。」
澤本はそれだけ言って、また黙った。腕の組み方は変わらない。
倉田は資料に目を落とした。確かに、そこには数字しかなかった。想定避難者数、必要物資の一覧、役割分担表。誰一人として、顔がない。
帰り道、倉田は自分が三十年間住んだ住宅街をゆっくり歩いた。表札を、一枚ずつ読んだ。佐々木。田中。鈴木。ほとんどが、知らない名前だった。
「俺は、段取りだけを生きてきたのか。」
声に出しながら、夕暮れの路地に吸い込まれた。
家に帰ると、仏壇の前に座った。妻の遺影は三年前から変わらず、少し困ったような顔で笑っている。引き出しの奥から、古びたノートを取り出した。妻が生前つけていた地域活動の記録だ。一度も開いたことがなかった。
ページをめくると、几帳面な文字が並んでいた。
〈七月 河川清掃 参加者十四名。澤本さんの奥さんが漬物を持ってきてくださった。おいしかった。〉
〈十一月 餅つき大会。倉田は今年も仕事で来られず。来年こそ連れてきたい。〉
倉田は、ノートを閉じられなかった。
月に一度の準備会合が、習慣になった。
倉田は毎回、議題と進行メモを前夜のうちに作成した。澤本は毎回、五分前に来て、入口近くの席に座った。二人の間には、河が流れていた。
会合は少しずつ、倉田の想定とは違う方向へ流れた。防災食の試食の話から、誰かの母親の話になり、避難所の備蓄の話が、嫁姑の関係の話に着地した。倉田は何度も軌道修正を試みたが、澤本が「まあ、茶でも飲んでから帰れ。」と言うたびに、場の空気が緩んで、誰かがまた喋り始めた。
ある夜、会合が長引いた。倉田は自宅そばまで帰ってきたところで、傘を忘れたことに気づき、澤本の住む方角へ引き返した。
澤本の家の前を通りかかったとき、玄関の電灯がついていた。引き戸の隙間から、声が聞こえた。
「痛いか。もうちょっと待ってくれ。はい、ゆっくりな。」
低い声が、子どもをあやすように繰り返している。倉田は足を止めた。
引き戸が開くと、澤本が立っていた。二人は無言で見合いあった。
「家内が、な。」澤本は言った。「足が悪くなってから、風呂は俺が入れる。」
「そうか。」
「見たなら、見たで仕方ない。」
澤本はそれだけ言って、中へ引っ込んだ。倉田は傘のことも忘れて、その場に立ち尽くした。
二 月に一度の会合
次の会合から、何かが変わった。
変わった、というより、もともとそこにあったものが見えるようになった、という方が正確かもしれない。澤本が腕を組んで黙っているのは、考えているのだと分かった。倉田が議事を急かすのは、不安だからだと、澤本には分かったかもしれない。
「防災食の試食、豚汁にするか、アルファ米にするか。」という議題のとき、澤本が初めて、自分から口を開いた。
「両方やれ。腹が減っているときでも、選べるほうがいい。」
誰も反論しなかった。倉田も、しなかった。
三 米百俵の話
防災訓練の前日、リハーサルが行われた。
会場は、かわまちみなみ駅の西口公園だ。起震車、パッカー車、警察の白バイ、給水車。ありとあらゆる「働く車両」が朝から集結し、スタッフが走り回っていた。沿線にある大学のゼミ生たちも十名ほど来ていて、ポスターを貼ったり、椅子を運んだりしている。
問題は、昼を過ぎてから起きた。
開会宣言を担当する小学生が、急に熱を出したという連絡が入った。音響係の大学生が機材の接続を間違えて、マイクが鳴らない。女性向け防災セミナーの会場設営が、別のテントと位置を混同されて、最初からやり直しになった。
倉田の頭の中で、段取り表が次々と崩れた。
「誰だ、マイクの担当は! 事前確認しろと言ったじゃないか!。」
声を荒げかけたとき、澤本がそばに来た。
「倉田さん。」
低い声だった。それだけで、倉田は黙った。
澤本は大学生たちの方を見ながら、言った。
「米百俵って話を知ってるか、腹が減ってもその米を食わずに、次の世代に渡す話だ。」
「……知ってる。」
「俺たちが今やってることも、同じじゃないか。この子たちに、渡してるんだ。段取りじゃなくて、やり方を、どうすればいいのかを。」
倉田は大学生たちを見た。マイクの線をたどりながら、必死に原因を探している。間違えた子が、泣きそうな顔をしていた。もう一人が「大丈夫、一緒に探そう。」と言っていた。
その夜、倉田は妻のノートをもう一度開いた。最後のページに、こんな一文があった。
〈地域は、続いていくものだから。だから、今ここで顔を合わせることに意味がある。〉
倉田は、ノートをそっと閉じた。
四 豚汁の味
当日の朝、澤本が来なかった。
七時の集合時刻を過ぎても、澤本の姿がない。倉田はスマートフォンを取り出した。呼び出し音が七回鳴って、澤本が出た。
「家内が夜中に転んでな。病院に来てる。」
「そうか。……大丈夫か。」
「骨は折れてない。でも、今日は行けん。」
少し間があって、澤本が言った。
「あんたが仕切れ。あんたならできる。」
電話が切れた。
倉田は、段取り表をポケットにしまった。
午前十時、開会の時刻になった。小学生の代役は、昨日急きょ決まった中学一年の女の子だった。マイクの前に立ち、少し背伸びをして、腹の底から声を出した。
「第三回 かわまちみなみ防災訓練 ただいまより 開会いたします!。」
拍手が起きた。
子どもたちが白バイに群がった。起震車の列ができた。豚汁の鍋から湯気が上がり、アルファ米のパックが配られた。女性向けセミナーの会場では、浅野先生が話し始めた。ランチタイムには中学生のブラスバンドが、少し音を外しながらも、一所懸命に演奏した。
倉田は会場の端から、その全部を見ていた。段取り表がなくても、何かが動いていた。自治会長たちが、自分で判断して、動いていた。顔の見える関係というのは、こういうことか、と思った。
午後二時過ぎ、澤本が来た。
病院から直接来たのだろう、上着にしわが寄っていた。倉田は声をかけなかった。代わりに、鍋の前に行って、椀に豚汁をよそった。
澤本のそばに戻り、黙って差し出した。
澤本は少しの間、椀を見ていた。それから、受け取った。
二人は並んで、公園の端に立った。台詞はなかった。豚汁の湯気が、十月の風に流れた。
終 翌年の秋
翌年の秋、次の開催に向けた準備会合が始まった。
新しい顔ぶれが増えた。歯科医師の男性が自治会から参加し、大学の医療関係の先生も来た。大学のゼミ生の中に、市役所への就職が決まった学生がいると聞いた。
倉田と澤本は、少し後ろの席に座った。
若い自治会長が議題を提案した。澤本は腕を組んで黙っていた。倉田はメモを取った。ただし今日は、段取り表は作っていない。
会合の終わりに、澤本が言った。
「まあ、茶でも飲んでから帰れ。」
誰かが笑った。お湯が沸いた。
倉田は、胸のポケットに手を当てた。妻のノートから切り取った一枚が、そこにある。
〈地域は、続いていくものだから。〉
窓の外、かわまちみなみ駅のホームに、夕方の電車が滑り込んできた。
了
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よかったら、#コミュニティラジオ #フィクション #短編小説 #ラジオ取材 をつけてSNSで感想を聞かせてください。続けてゆく力になります。
次回、
第二話 まつりの空に

あとがき
ラジオ番組の取材を通じて、この街には様々な活動をしている人々がいて、伝えるべき出来事があることを知りました。
そして、それらの人々にはそれぞれの思いがあり、それぞれのストーリーがあることに気づきました。そして「これは事実を放送するだけでなく、物語として残したい」と思いました。
私たちのラジオ番組では事実を伝えなければなりません。でも、番組から離れて、その背景を見つめ、想いを馳せて創造したフィクションなら── 人々が胸の奥に秘めている「思い」も描けるかもしれない。
街の声をもっと遠くに届けるために、その「思い」を書き続けようと思っています。
いはらコウ
※本書に収録された作品は、ローカルコミュニティラジオ番組の取材をヒントに創作したフィクションです。登場する人物・団体の名称等はすべて架空のものであり、実在する個人・団体とは一切関係ありません。


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