ローカルコミュニティラジオの取材をヒントに書かれたフィクションストーリー
第一話 駅前の奇跡 ── 小さな自治体の大きな挑戦
第二話 炎と、老人と、春の終わり ── 旅するパフォーマーとの3ヶ月
第三話 マイクの向こう側 ── 「心動かされる」瞬間
まえがき
ここに収められた三つの物語は、あるローカルコミュニティラジオの取材からヒントを得て、仮想の街_「かわまち市」を舞台に三つの異なる視点から創作したフィクションストーリーだ。
三つの物語は独立したストーリーだ。しかし、登場人物たちは同じ時間と場所を共有している。ひとつの出来事は、それに関わるすべての人の数だけ、異なる物語を持っている。
読んでくださった方の心に何か残るものがあれば、それ以上のことはない。
著者記す
第二話 炎と、老人と、春の終わり
プロローグ セブ島、2025年秋
マルコ・レイエスは海を見ていた。
フィリピン、セブ島にある実家のテラス。錆びたトタン屋根の向こうに、青い水平線が広がっていた。
スマートフォンの画面には、日本のサーカス団からのメッセージが届いていた。
〈来年3月、埼玉県のかわまち市で公演があります。参加しますか〉
マルコは30歳になったばかりだった。ジョイフルサーカスに加わって5年。ファイヤーパフォーマーとして世界各地を転々としてきた。大阪、シドニー、クアラルンプール、そして再び日本__。
けれど今年に入ってから、何かがずれていた。炎を吹くとき、あの感覚がなかった。客席から歓声が上がっても、自分の内側がしんと冷えたままだった。
母親がテラスに出てきた。「帰ってきたらいいじゃないか。もう十分やっただろう」
マルコは答えなかった。ただ、メッセージの返信欄に指を置いた。
〈参加します〉
送信してから、なぜそうしたのか、自分でもわからなかった。
一 3月、かわまち駅前
テントの設営は公演の1週間前から始まった。
かわまち駅の東口を出てすぐの広場に、赤と白の大きなテントが立ち上がっていく。マルコはその作業を手伝いながら、街を眺めた。
小さな街だった。駅前のロータリー、コンビニ、薬局。川沿いに桜の木が並んでいた。まだ蕾だった。
「いい街だな」
隣でロープを引っ張っていた同僚のカルロスが言った。マルコは曖昧にうなずいた。
その夜、マルコは一人でコンビニへ行った。おにぎりを買って、外のベンチで食べていると、隣に老人が腰を下ろした。
白髪の、背が曲がった男だった。70代か、80代か。薄いジャケットを着て、手に缶コーヒーを持っていた。
老人はテントを眺めた。マルコもテントを眺めた。
「サーカスか」と老人は言った。
「はい」とマルコは答えた。片言の日本語で。「私、パフォーマーです」
老人はほう、と言って缶コーヒーを一口飲んだ。それだけだった。
二 3月20日、初日
公演初日の客席は満員だった。
マルコは袖で待機しながら、ざわめきを聞いていた。子どもの声。親の声。笑い声。
自分の出番は第三演目。ファイヤーパフォーマンスだった。
照明が変わった。マルコはステージへ出た。
松明を手に取り、火をつける。熱が手のひらに伝わってくる。客席が静まり返る。
息を吸った。
炎を吹いた。
歓声が上がった。
いつもと同じだった。けれどマルコは、袖に引っ込みながら、やはり何かが足りないと感じていた。何が足りないのか、わからなかった。
三 3月下旬、桜の季節
その老人と、また会った。
今度は昼間だった。テントの外のベンチで、老人はぼんやりと桜を見ていた。桜はちょうど満開だった。
「また会いましたね」とマルコは言った。
老人は顔を向けた。「ああ、サーカスの」
「マルコといいます」
「田所だ」
それから2人は、しばらく黙って桜を見た。
「毎日ここに来るんですか」とマルコは聞いた。
「ひまだからな」と田所は言った。「家にいても仕方ない」
「家族は?」
「息子夫婦と同居しているが……お互い気を遣う」
老人は苦く笑った。マルコは何も言えなかった。
「あんたは、ずっとこういう仕事をしているのか」
「5年です」
「楽しいか」
マルコは少し間を置いた。「……わかりません。今は」
田所は意外そうな顔をした。それから、また桜の方を向いた。「正直なんだな」
四 4月、雨の日
雨が続いていた。
公演は続いていた。テントの中は雨音が響いても、客席の熱気は変わらなかった。けれどマルコの気持ちは、雨と一緒に沈んでいた。
ある雨の午後、田所がベンチの屋根のある場所でぼんやりしていた。
「今日は出番はないのか」
「昼はありません。夜だけです」
「そうか」
田所が缶コーヒーをもう1本差し出した。マルコは受け取った。
「田所さん」とマルコは言った。「何か、昔、好きだったことはありますか」
老人は少し考えた。「一人旅、かな。若いころ、バイクで日本中を回った。北海道から九州まで」
「楽しかったですか」
「楽しかった。でも今は足が痛くて、遠くへは行けん」
マルコはコーヒーを飲んだ。苦かった。
「私は、……もうすぐ帰ろうかと思っています。故郷に」
「そうか」
田所は雨を見ていた。「何かあったのか」
「炎を吹いても、何も感じなくなりました。5年前は、違った」
田所はしばらく黙っていた。それから言った。
「バイクも、しばらく乗らないと感覚が戻らない時がある」
「でも乗ればまた戻りますか」
「たいていはな」老人は皺の深い顔でかすかに笑った。「でも、そうじゃない時もある。そういう時は……乗る場所を変えてみる」
五 5月、新緑の頃
マルコは試してみた。
炎を吹く前に、客席をよく見るようにした。子どもの顔。老人の顔。カップルの顔。初めて来た人の顔。
5月のある夜、最前列に田所の姿があった。
マルコは驚いた。いつも外のベンチで話すだけで、田所が公演を見に来たのは初めてだった。
出番が来た。マルコは松明を手にした。
息を吸った。
炎を吹いた。
客席から歓声が上がった。マルコは一瞬、田所の顔を見た。老人は目を細めていた。口が少し開いていた。
次の演目、また炎を吹いた。今度は客席の方へ向けて、弧を描くように。
田所が、静かに手を叩いていた。
マルコは、胸の内側が、じわりと温かくなるのを感じた。
5年ぶりの感覚だった。
六 5月下旬、田所の話
公演後、2人はいつものベンチに座った。
「よかったよ」と田所は言った。「本当に、よかった」
マルコは、礼を言った。それから、少し迷ってから聞いた。「田所さんは、なぜ今日来たんですか」
老人はしばらく黙った。
「実はな」と田所は言った。「先月、病院に行った。心臓が、あまりよくないらしい」
マルコは何も言えなかった。
「息子は手術しろという。でも大げさなことはしたくない。……まあ、私の体だから」老人は川の方を向いた。「だから、見ておきたかった。サーカスというものを。あんたが吹く炎を」
「私の炎を?」
「毎日ここで話すだろう。あんたが悩んでいるのはわかった。でも、あんたは炎を吹くのをやめなかった。それが……なんとなく、よかった」
田所は笑った。しわだらけの、穏やかな笑いだった。
「人間、あきらめなければ、たいていなんとかなる」
七 6月8日、最終公演
3ヶ月の公演が、終わった。
最終日の夜、マルコは最後の炎を吹いた。テントの中が、一瞬だけ昼間のように明るくなった。
客席から、大きな拍手が起きた。
カーテンコールが終わり、照明が戻ったとき、マルコは客席を探した。田所はいなかった。
テントの外に出ると、いつものベンチに缶コーヒーが2本、置いてあった。
1本は、まだ温かかった。
マルコはそれを手に取って、川の方を向いた。夜の川面に、街の灯りが揺れていた。
スマートフォンに通知が来た。サーカス団からだった。
〈次は秋田です。参加しますか〉
マルコは少し考えた。田所の声が、耳の奥で聞こえた気がした。
〈人間、あきらめなければ、たいていはなんとかなる〉
〈参加します〉
送信してから、マルコは缶コーヒーを一口飲んだ。
苦くはなかった。
(了)
あとがき
ラジオ番組の取材を通じて、この街には様々な活動をしている人々がいて、伝えるべき出来事があることを知りました。
そして、それらの人々にはそれぞれの思いがあり、それぞれのストーリーがあることに気づきました。そして「これは事実を放送するだけでなく、物語として残したい」と思いました。
私たちのラジオ番組では事実を伝えなければなりません。でも、番組から離れて、その背景を見つめ、想いを馳せて創造したフィクションなら── 人々が胸の奥に秘めている「思い」も描けるかもしれない。
街の声をもっと遠くに届けるために、その「思い」を書き続けようと思っています。
いはらコウ
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
よかったら、#コミュニティラジオ #フィクション #短編小説 #ラジオ取材 をつけてSNSで感想を聞かせてください。続けてゆく力になります。
※本書に収録された作品は、ローカルコミュニティラジオ番組の取材をヒントに創作したフィクションです。登場する人物・団体の名称等はすべて架空のものであり、実在する個人・団体とは一切関係ありません。

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